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「学びの深さ」で選択が変わる

新年あけましておめでとうございます!今年もよろしくお願い致します。

昨年の私の不思議の会の感覚と致しましては、まさに「激動」「転換」の一年だったと感じており、改めて個人の本質を問われる年だったなと思いました。そして、ここで改めて確信したことが、「学びの深さ」が選択を大きく左右するのだという事です。

私達が横田先生から学んでいることが宇宙の真理「諸法無我」「諸法無常」「涅槃寂静」だとするならば、それがどこまでわかっているのか。

多くの人は、表面化されたものの「背景」にはあまり関心がありません。もちろん背景にある「泥臭さ」みたいなものは表面化する必要は無いのですが、そこを「感じ取る」、「慮る」ことはおそらくそれなりの「苦労」と言いますか、そういうものが必要なのではないでしょうか?

釈迦は、【人生は「苦」に満ちている】と説き、【苦は、「期待と事実の矛盾から生じる】と説明されました。

例えば、「お金が無い」とするならば・・・

「お金が無い」と思う自分がいて、さらに「お金がある人」と比較する自分がいるわけです。つまり、「お金が無い」という状態は、自分自身の脳が作り出した「幻想」「空想」とも言える状態があるのです。

戦後の貧しい生活の中で生き延びて来られた方々へ話を伺ったときに皆さん往々にして「お金がなかったけど、みんなが同じ生活をしていたから、そんなに “お金が無い” “貧しい” とは感じていなかった」とおっしゃいます。

つまり、「みんなと同じような裕福な生活=期待」と「周りとは違う貧しい日常=事実」が矛盾しているからそこに「苦」が生じるのです。つまり、簡単に説明すれば「みんなと同じ」を期待するからこそ苦しみは生じるわけです。

だから、「違い」を受け入れると「苦」は消滅します。

最近は皆さんカミングアウトされる事が増えましたね。これは、「違い」を「違い」として素直に受け入れる土台が少しづつ社会に浸透されてきたからだと思います。カミングアウトされる瞬間まではおそらく“相当なストレス”を感じておられたはずですし、人によっては「自殺」を選択され、何度も自暴自棄に襲われた方々もいらっしゃるはずです。

先日、NHKで戦後の「戦争孤児」達のドキュメント番組が放送されていました。孤児たちは戦中はもちろんですが、戦後もずっと戦争が続いていたのを皆さんは知っておられましたか?

戦後の日本政府は、外地や満州からの引き上げてくる国民と、内地にいる国民の仕事を作ることに集中し、終戦の一九四五年から三年後の一九四八年に児童福祉法が制定・施行されるまで、孤児たちの保護は一切ほったらかされていたのが実情なのです。

そのため“浮浪児”や“駅の子”と言われ、親もなく、もちろん食料も無い時代に親類には毛嫌いされ、更には戦争を犯したはずの国家や大人たちでさえおにぎり一つも施さず、完全に孤立してしまったのです。

そんな中で自分が生き残るために「仲間を作り、協力する体制」を作るのですが、やはり栄養失調で亡くなる方もちろん多かったのですが、その中で「自殺」していく孤児たちも多かったのが事実なのです。

では、どういう人が多かったのか。

それは「なぜ自分がこんな悲惨な状況に陥ったのか。親も親類もなく誰も助けてくれない。私は一人だ・・」と思い始めた孤児たちだったそうです。助け合う仲間は周りにいても「自分自身が“一人”だと、脳が勘違いした状況を認識」してしまうと、人は「自ずから命を絶つ」選択を迷いなく行動に起こしてしまうそうなのです。

戦争孤児たちの生活は実際悲惨だったに違いありません。食べ物もない、お金もない、病気になっても病院へもいけない、服もない、家もない、家族もない、頼れる国家もない・・・無いものだらけです。「苦」だらけです。

ただ、その中でも生き延びて来られた方々は、そんな状況でさえも受け入れて「歯をくいしばって」前を向いて来られた方々ばかりです。浮浪児ということで、拒絶や差別もあり、いじめもある。先生でさえも同じようにしていた人も多かったそうです。

人はもちろん一人です。僕もそう思っています。

ただ、「一人である」ということも受け入れることが、逆に「一人ではない」ということに気付けるのだと思います。

一人であると思う事は「苦」であるが、受け入れると「苦」ではなくなる。つまり「苦 ・ 社会的集合的無意識」は“忌み嫌うもの”ではなく、逆に私たちを“解放”し、宇宙意識や愛のある“魂の計画”に導いてくれる“御行”とも云えるものだと思います。

また合気道の養神館創始者である塩田剛三先生は「行住坐臥、すべては行である」と説かれています。

「行住坐臥」とは、日々の日常全てのことであり、この言葉は個人が座禅を組んだり、呼吸法に取り組んだりするのと同じ意識で、家族との時間や仕事を同等に意識することを指しているのです。だから今回、私達の身に起きた“大きな激動、転換”の出来事は、人によって感覚は違うにせよ、どのように捉えるかによって人生は大きく変わるのではないかと思うのです。

それは、どう捉えるかは個人の問題であり、「個人の無意識の選択 “生き・死に”」にも大いに関係するからです。

真理は「苦を超えたところ」、つまり、“被害者意識を超えたところ”にあります。被害者意識は、戦後の孤児たちの心を蝕んだ状況と同じく、少しづつ侵襲していきます。これは本人ではなかなか気が付かないものです。だから気付いたら誰かといつも揉め事をしたりと同じような事を繰り返したり、最悪の場合、いつの間にか電車に飛び込んでいたりするのです。

釈迦の唱えた宇宙の真理(計らい)

①諸行無常 = すべての物事は移り変わる = 動く

②諸法無我 = すべての物事は繋がっている = 連なる

③涅槃寂静 = この二つを深く理解できれば涅槃に至る = 愛

① 若づくりしても歳は重ね、いつかは滅し、新たな生が生じる

親はいつまでも生きているという錯覚 子供はいつまでも子供だという錯覚 = 見えないけれど当たり前に存在する破壊と再生の力

② 人は一人では生きられない

重力や空気、食料がないと歩くことも息を吸うことも、食べることも出来ない = 当たり前に貴方を存在させている見えにくい力

③ ①②が理解できると、不安が薄くなり、自然と「感謝と愛」が生じる

つまり、“当たり前だけど見えない存在に気付き、そしてこの当たり前を深く認識する”ことが③への道。

だと思います。その深く認識する作業が、「表と裏」「静と動」

学び(表・静) と 体認(裏・動)

見えないもの と 見えるもの

を繋げていく作業です。つまり、「心行一致」、「言行一致」です。例えば 「不思議の会」と「和の会」、「仕事」と「家庭」みたいなことです。ということは、行に終わりはなく、また、深めれば、どこまでも深めることが出来るという事です。

苦(社会的集合的無意識)の世界から離れ、その先にある魂の計画にもその深さ、レベルがあります。皆が簡単に使う【愛や感謝】にも、同じように深さがあるということです。終わりはありません。

物事の表面的なところではなく、その背景に「慮れる」そういう深さを感じられる人間を今年も意識し、「愛と感謝」による充実した一年にしたいと思います。

それでは皆様今年も一年、宜しくお願いいたします。

 

(Fさん・男性)

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