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私が感じる”深まる3段階+α”のお話

私が感じるということで、絶対ではありませんので、それぞれの感覚で読んでいただければと思います。最近、物事との向き合い方とか深め方について、ふと思うことがあったので書きます。

何かと向き合うことになった場合、何かをやることになった時…頑張ります!一生懸命やります!とか言いますが→何をどう一生懸命やるのか?うまくいっている時は問題ないでしょうが、なかなかうまくいかない時、どうするのか?

一般的には、状況を観察して問題点を見出し、解決策についての知識・情報を集めてくる、というのが常套でしょう。テキスト的にそういうやり方を教えられるから。うまくいかなければ、頑張って、一生懸命努力して、さらに情報を集めてきてトライを繰り返す。ただ、これをやっていると、いつの間にか情報とか知識に囚われるようになります。この集積が集合的無意識ですね。知識・情報は増えるが、不思議の会でお話されるような本質的な深まりが無い。勉強すればするほど、活字的・表面的情報が増えていく。

私は調理師なので、料理でのお話をすると、まずは知識をつける。レシピであったり、道具の種類や使い方であったり、加工の仕方を覚えることから始まります。まずは料理が作れるようにやり方・マニュアルを覚える訳ですね。ただ、ここに深さはあまり無い。とりあえず料理ができたという状態。それでも頑張って覚えれば知識は深まるかもしれない。いろんなこと知ってます!これが第一段階。

その先、うまい料理を作りたいと思ったとする。そうすると、作りながら観察が始まる。レシピ通り同じように作っているのに味や食感にブレが出る。シェフが作ると美味いのに、なんで?となる。

感じながら動いていると、ここにマニュアルや活字では伝えられない部分があることに気付く。微妙な火加減、さじ加減、色合いの変化などがあるのだが、これは言葉では言い表せない。見て、やって、食べて、感じてみる。味わうというのは単に味を見るだけではない。ここに感性・感覚の深まりが出てくる。

こういう感性・感覚のアンテナが働くかどうかだ。そして、その感度が上がってくると、だんだん細かい事に気が付くようになる。「味わって動けるようになる」この辺が第二段階か。フライパンの厚みや構造、材質によって火の入り方が違うとか、コンロごとに違う微妙な火力の差を使い分けられるようになるとか、一定ではない素材の厚みとかを見て仕上げの調整をするとか、で、この食材の仕込みしたの●●だろ、切り方見れば大体わかるとか(笑)…これぐらいになると、センスがあるみたいな言われ方をする。

このセンスというアンテナは人によって違う。基本、興味が無いことには働かないし、頑張ったところでなかなか身に着かない。なので、センスのアンテナが働くことというのは自分の人生・魂の方向性を暗に指していると言っても良いのではないか。どこを深めていくかはとても大事であると思う。

さて、そのセンスが深まってくると何が起こるか。不思議なもので、見えない対話?が始まるのである。といっても言語で話をしている訳ではありません。なんとなく感じるのです。

例えば、料理をしていると「食材」に行きつく。鮮度・産地直送、安全安心・無農薬/特別栽培とか、もちろんそういうのに越したことは無いと思うけど、それだけでは割り切れないものがあったりする。見た目も鮮度も安心度も同じような野菜なのに、持っているエネルギーというかポテンシャルが違うやつがいるんですよ(今、ウチで作っている野菜もかなりポテンシャル高いですよ~!)。以前、そういうものを売っている生産者さんの畑まで遊びに行ったことがありましたが、なるほど、こういう自然環境で、こんな人が作ってたのねと、見えない背景の部分があるんですね。

ウチで食育的な話もよくするんですが、エネルギーの高い野菜と、エネルギーの低い野菜、どっちを食べたら元気になれそうですか?って。そりゃ、高い方に決まってんじゃん、ってなるんですけど、そのエネルギーってどこから来てるかっていうと、自然や作り手さんの思いだったりする訳です。食事というのは、そういうエネルギーを頂いているんですよと。そういう背景を感じながら、有難いなぁ!なんて感謝しながら、手を合わせることで、そこにまたエネルギーの共鳴が起きる。「いただきます」ってそういう事じゃないかなと。有難く頂くこともとても大事なことです。

また、いい食材ってそんなに手に入らないから、今あるものを、スーパーの野菜でもいいですよ、どう活かしてあげるかが大事ですよね。料理って、作り手の氣が入ります。同じ素材で同じように作っても味が変わります。素材の状態を感じながら家族や相手を思って愛情込めて作る料理と、適当に作る料理、どっちが美味しいか?エネルギーが上がるか?分かりますよね。手作りの良さって、そういう所にあるんじゃないでしょうか。

食事って頭で考えると栄養の補給、栄養学の世界なんでしょうけど、実はそうではない部分の方が大きい。本質的には氣・エネルギーの補給であったり、愛情エネルギーの共有・循環の場だったりします。だから、家庭の食卓ってすごく大事な場だと思うんです。なんて。

ちょっと話がそれましたが、「背景や裏側みたいな見えない部分を感じていく」のが第三段階目。こういう感覚が身に付いてくると、今まで見えなかったものが見えたり感じられるようになる(霊とかオーラが見えるとかそういう事ではなくて。たまにはそういう人もいるでしょうけど)。表面的なモノそのものより、背景や周りの空間、エネルギーを感じるみたいな感じでしょうか。

厨房って、換気扇の音や業務用冷蔵庫の音、炎の音や料理を作っている音なんかで結構騒々しいのですが、前にやってた店で、厨房から遠く離れた見えない席のお冷が無くなっているから注ぎに行ってとパートさんに言ったら驚いていました。なんで分かったのかと。そんな騒音だらけの厨房で料理作ってる最中でも、お冷グラスの中にある氷がカランと音を立てたのが聞こえるんですよ。氷が音を立てるということは液体がないからだと。研ぎ澄まされた状態に入ると、そんなことが分かったりします。

また、知り合いが、とある華道のお家元と歩いている時、「今日は日差しが眩しいくらい、いい天気ですね」と言ったら、「傍を流れている小川の水底にいる魚に反射した光がどこそこを照らしてどうたらこうたら…」みたいな、物凄い風景描写の言葉が返って来てビックリしたと言っていました。水底?魚?どこ?水面がキラキラくらいは分かるけど、同じ場所にいて私には全然見えなかった。まるでその場全体を見ているようだったと。

極まってくるとそんな状態になるんですね。華を活ける時も、華や剣山や器だけを見ているのではなく、会場の空間や、その時の季節や天気、周囲の風景などなど、もっと広い空間・深い部分と繋がって創作されるのでしょう。●●道は宇宙に繋がっていくんですね。

+αということで、横田先生に青森や沖縄の聖地に連れて行って頂いてから、宇宙と繋がるような場を体感させて頂いてから、私の感覚もまた、変わりつつあるように思います。宇宙からのエネルギー・情報の流れを受ける場、聖地があって、山があって森があって、中継点もあって(岡山にも、いろいろ面白いところが多くありますよ、ぜひ遊びにいらしてください!)、そこから脈々と流れていきながら地球の営みが巡っている。その先っぽに野菜があったり、私たちがいて、何かしらの活動をしているのですが、それぞれが持つセンス、魂の特性に応じて、見えるもの、感じること、共鳴すること=役割・魂の計画があるのかなと(かなり壮大な!?イメージのつもりなんですが、活字で書くとなんかショボい文章やな~…皆さん、ぜひ、行間や活字の向こう側を感じながらお読みください(笑))。

そういう所に感覚を馳せつつ、日常をしっかり味わいながら生きるのも良いのかな~と思います。いつも以上の事を感じたり、あ!?と気付くことが増えるかもしれませんよ!
最近、妖精系の魂の人!?が少しずつウチに集まってきているような…!?何が起こるかな?楽しみです。

 

(Aさん・男性)

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