会員の皆さんの気付き

淡々と

みなさま、こんにちは。会員のみなさまが各地の聖地巡礼や沖縄の魂旅に参加されるお蔭もあり、最近は個人的にもいろいろな波が押し寄せてきているのを感じています。

私は仕事柄、1対1で人と接する事が多いのですが、その中でも年配の方からは、社会の事や家族の事、ひいては人生の教訓までと幅広い知識と知恵を授けて頂ける機会に恵まれています。また、人生の最後に立ち会わせて頂くことも多々あります。これは本当に有難いことなのですが、縁あって治療させて頂いた方は全員安らかに天寿を全うされました。「安らかに」というのは、ご家族や生前にご本人が「亡くなるときは、このように亡くなりたい」と希望を話されていたように最後を迎えることが出来たということです。ご家族とも話すのですが、親が理想的な形で最後を迎えられたということは、親孝行の1つの形であり、自分もいい見本となれるようにとこれからの励みになりますといわれるのです。人間というのは本当に天寿を全うするギリギリまで変化・向上することが出来るんだよと毎回、教えて頂いています。

このように最後を迎える、最後を看取ることということは?というきっかけを与えてくれたのが、母の姉である伯母でした。伯母は末期の肺癌のため入退院を繰り返していました。私が治療家になったのを知って、当時は自宅療養をしていた伯母は後学のためにとわざわざ呼んで下さりました。私がその当時知りうる限り、出来る限りの事を試みました。治療をしている時に伯母はいつも「ありがとう」や「気持ちいいね」といってくれていました。しかしある時に「もういいよ」と伯母が言うのです。どうしたのかなと思っていた矢先に、病院へ再入院しそのまま帰らぬ人となりました。今思い返してみても、伯母は自分で最後の時を分かっていたのではと思うのです。治療中は言葉では優しい言葉をかけてくれていたのですが、自宅では痛みや嘔吐が襲い、皮膚には発疹などもあり、全身倦怠感があったため食事もままならず話すこともおっくうだったそうです。身体は素直にそのときに必要なことをしてくれていましたが、治そうとして治療をしたことによって体力を消耗していました。ただ、伯母は自分の身体を通して、全身全霊で何かを感じ取ってくれと言っていたように思うのです。自分では気づいてはいませんでしたが、治療をしようとすることは、「今のあなたの状態は悪いから良い状態にしましょうね。」という事を暗に示していました。身体は賢いものでそんな状態であってもすべてを受け入れ、表現してくれていました。

最近も1人の方が天寿を全うされました。以前からご縁があった方で、40代から上顎癌が発症し50代後半で脳梗塞の後遺症により自宅で寝たきりになっており会話することも出来ない状態でした。定期的に治療に伺っていたのですが、ある時から伺うことが出来なくなってしまったのです。ご家族は治療に来てほしいと言われるのですが、予定をやりくりしても結局はいろんな条件が重なってしまい行けなくなるのです。何とかしようとしても出来ないというか、ご家族は治療をしてほしいのだけれども、ご本人が自然な形を望み環境や流れを作ってしまったかのように物理的にも伺えないようにしてしまうのです。ご本人はご家族と共に過ごす時間を優先したかったのかも知れません。今までにも同じようなことが何度もありました。物理的に伺えなくなるだとか、ご本人を前にしても治療をする気がなくなってしまうというか、そんな時にそろそろお迎えが来ているのかも知れないなと思うのです。環境が変わるというか、空間が変わって感じるのです。みなさん確実に最後の時を知っている様に感じるのです。

伯母の時もそうでしたが、これは亡くなる前だけの特有のものではなく、常日頃から感じているものだと思うのです。日常生活の中で感じてはいるものの、経験則や色眼鏡を通してしまうことで無かったことにしたり気付いていても気づかない振りをするのが上手になったりと、どんどんと鈍感にしてしまっているのです。身体を「モノ」のように扱い、治療家が勝手な価値基準で治療を行うと症状はあたかも治まっているようにみえていても感性は鈍感になっていくのです。身体に余裕があるときはそれさえも受け入れてくれるのです。知識からの行動の力は弱くても、創造からの行動はすべてを飲み込んでくれるのです。

さまざまな方の最期を通して、深い叡智を授けていただいていますし、いろんな方との出会いによる影響に感謝することが出来ます。みなさまありがとうございます。

 

(Sさん・男性)

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