会員の皆さんの気付き

3月の会を振り返って

こんにちは。

3月の“不思議の会”で、横田先生のお話を伺って驚きの連続でした。あまりにもシンクロが多かったからです。

まず、最初に配られた紙に4人の人物の名前が載っていたのですが、それは合気道の植芝盛平、大本の出口王仁三郎、『日月神示』の岡本天明で、この3人は私の中では結構以前から知っており驚くには価しなかったのですが、4人目の頭山満に目が釘付けになってしまいました。

最近私が興味をもって調べていた人だったからです。有名人といえば有名人なのですが、ある意味知る人ぞ知る的存在で、知っていても“戦前・戦中の右翼の大ボス”くらいの認識かと思います。しかし実際は大アジア主義者で、“超国家主義を唱えて大陸進出を主張”した玄洋社の総帥でした。つまり中国や韓国と大同団結して西欧植民地主義に対抗しようとしたのです。

頭山が24歳のときに、その2年前の西南戦争で自刃した西郷隆盛の家を訪れ、西郷が愛読していた大塩平八郎の『洗心洞箚記(せんしんどうさっき)』を借り受けたとのこと。頭山は西郷に心酔していて、当時の人々も頭山こそ「今西郷」だと評していたそうです。今、流行の“西郷どん”ですね。

この大塩、西郷、頭山に共通に継承されていたのは“義”の心でした。

横田先生のお話では戦前・戦中に現れた植芝、出口、岡本、頭山は、人々の意識を覚醒させるとか人々の魂の計画を導き出そうとして生まれてきた人たちだったそうですが、生まれるのが50年早かったとのこと。私は頭山つながりで石原(いしわら)莞爾、そして石原の同郷の宮沢賢治も加えたいと思っているのですが、彼らが人生の指針の一つにしていたのが法華経つまり日蓮です。この日蓮も私の中では最近のマイブームです。もちろん宗教として云々というのではまったくなくて、戦前・戦中の巨人・巨魁を調べていくとどうしても行き当たるのです。

ですから横田先生が群馬県の日蓮宗のお寺に呼ばれて岡本天明の三貴子(神)の掛け軸を見せられたと聞いて、これまた驚いたのです。

次に横田先生は阿弥陀仏(アミュータス)のお話をされました。アミュータスとは「大いなる光」で、それこそが自分自身、根本は光なんだと。

これも驚きました。ひょんなきっかけで一週間ほど前にヘミシンクを受けたのですが、そのときに光を見て「ああ、これが自分のハイヤーセルフつまり自分の根本なんだ」と思ったばかりだったからです。さらにイメージと意念のお話の中で小周天を「ピンク色の光りに包まれている玉」のイメージとおっしゃっていましたが、これもまさにヘミシンクで私が自身の結界を張るときに見ていたイメージそのものだったのです。

また、業捨の谷原先生のお話の中で人間性が高いのはやくざと在日だというお話をされました。

「自分たちが信じた絆は絶対守る」人たちだからだと。今のやくざの方たちのどれほどがそうかは知りませんが、彼らの根本は義侠心だそうです。

つまり“義”の心です。

ごく最近読んだ本に『達磨文書』(北一策著)がありますが、こんなくだりがあります。

「ここで重要なことがもう一つある。『本枝百世』という表現だ。これは『日本と渤海はかつて同じ一つの国だった』という意味だ。少し後のほうを読めば出てくるが、かつて東アジアに『扶餘(ふよ)』という原初的な国があり、それが『高句麗と南扶餘』に分裂。その後の歴史の過程で、高句麗が渤海に、南扶餘が百済と日本になったという表現なんだ(中略)墨子思想の継承者である墨家が、始皇帝から逃れ、扶餘国に渡ったという史実は青幇(ちんぱん)が秘匿する史書に書かれているだけで、一般には知られていない。」(以上本文p.134~136より)

この墨子思想というのがやくざと関係のあるテキ屋とか香具師(やし)と関係あります。どちらにも3つの掟があり、その1に「タレコムナ」つまり仲間を決して裏切るな、というのがあるそうです。

これは中国の秘密結社と呼ばれている青幇や洪門(ほんめん)[=紅幇(ほんぱん)]にも脈々と受け継がれている思想です。これらの秘密結社が頭山の大陸での活動組織“黒龍会”とつながりがあったとか。

ちなみにこの墨子思想というのは、墨子(紀元前470年~390年頃?)が説いた教えであり、一切の差別がない博愛主義(兼愛)で、崇山少林寺の達磨大師にも受け継がれており、この達磨大師と縁のある行黎(ぎょうれい)という人が西暦727年に大和政権に朝貢に来た渤海(ぼっかい:698年~926年。満州から朝鮮半島北部、現ロシアの沿海地方にかけて、かつて存在した国家)の使者の随行員として日本に上陸しているのです。そして彼は日本で墨家の足跡を探したそうです。

『達磨文書』では、その足跡として埼玉の高麗(こま)神社などが挙げられていますが、同書で重要な神社として出てくるのが岐阜県加茂郡白川町の大山白山神社、神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利(あふり)神社等あります。この大山阿夫利神社の近くの雨降山大山寺に倶利伽羅(くりから)堂というのがあるそうですが、“倶利伽羅”というのは、そう、倶利伽羅紋紋(もんもん)つまり入れ墨のことです。

ここでやっと墨家とやくざがつながりました(笑)。

本当はここから日本の源流であるカタカムナへと考察を進めたいのですが、紙幅も尽きたのでやめておきます。今回も横田先生のお話はとても大切な内容があり非常に楽しめました。ありがとうございました。

 

(50代・男性)

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